契約の成立
連載「新しい収益認識基準で変わる契約書」
契約の成立
2017年5月30日初版 弁護士・公認会計士 片山智裕
A4小冊子 9ページ
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「契約の成立」 目次と概要
1.Step1「顧客との契約を識別する」の概要
企業は,本基準の適用手順の最初のステップで,顧客との契約を識別します。このステップは,次のとおり細分されます。
1 契約の成立
2 契約の識別
3 契約の結合
4 契約の変更
☞企業は,契約の開始時に,法律上,契約が成立していること,かつ,本基準が定める収益認識モデルの適用対象となる要件を満たしていることを判定します。これらの判定により,企業が契約を識別できない限り,収益を認識できません。
2.Step1-① 契約の成立
Step1「顧客との契約を識別する」では,まず,企業は,顧客との間で契約が成立しているかどうかを判定します。
契約が成立するか否か(契約上の権利・義務が強制可能かどうか)の判定は,現実に我が国で運用されている裁判制度を前提とする法律上の判断です。
3.契約とはー契約の概念ー
● 本基準の“契約”と法律制度における“契約”
本基準は,“契約”(contract)を「強制可能な権利及び義務を生じさせる複数の当事者間の合意」と定義づけます。“契約”は,複数の当事者間の合意が強制可能な権利・義務を生じさせるときに成立します。法律による強制力のないものは“契約”に含まれません(BC 31)。
契約上の権利・義務が強制可能かどうかの判定は,当事者の権利・義務を保護するために存在する関連する法律上の枠組み(=裁判制度)又は同等の枠組みの中で検討すべき問題であり,強制可能かどうかを決定する要因は法域間で異なる可能性があると指摘しています(BC 32)。
☞本基準が定義づける“契約”は,現実に各国で運用されている具体的な裁判制度で執行され得る,法律制度における“契約”概念と同一です。
● 私的自治の原則
契約の拘束力の根拠は,法律学上,人が他人との間で約束を交わしたときに,その他人がその約束を信頼することにあるという説明が一般に受け入れられています。このような考え方の根源には,「人は自らの意思のみに拘束される」という法思想(私的自治の原則)が存在します。
契約の根幹には社会道徳における「約束」に類似した事象(後に述べる「合意」のこと)があり,社会の人々は,道徳上,それを遵守しなければならないという心理を抱きます。そして,裁判制度の構築・運用により,社会の人々が実際にも契約の拘束力に強制力があることを知り,こうして,社会の人々に“契約は遵守しなければならない”という意識が根付き,いちいち裁判に訴えなくとも契約が遵守されるような“契約社会”が確立します。
● 契約の概念
このような契約の根幹にある「約束」に類似した事象は,法律制度上,各当事者の「意思表示」が合致している状態として「合意」と呼びます。本基準の“契約”の定義の中の「複数の当事者間の合意」という「合意」がそれを指しています。他方,本基準は,必ずしも法律の強制力が伴わない場合は「約束」という用語を使い,「契約」と使い分けています。
法律制度は,契約の当事者に裁判に訴えて強制的に契約に定めた権利を実現する手段を保障しますが,そのためには,契約の成立の基礎となる「合意」が法律制度によって強制するのに適した一定の条件を備えていなければなりません。
法律制度は,各当事者が拘束されるべき「自らの意思」を,一定の要件の下に「意思表示」と定義づけ,その要件を満たす各当事者の「意思表示」がそれぞれ成立し,それが合致することを「合意」と呼んで区別し,社会にみられる多種多様な「約束」の中から,法的強制力を付与するにふさわしい条件を備えた「合意」だけを「契約」として取り扱います。
☞法律制度は,社会にみられる多種多様な「約束」の中から,法的強制力を付与するにふさわしい条件を備えた「合意」だけを「契約」として取り扱います。契約の成立の判定は,まず,①各当事者の意思表示の成立を確認し,その内容を確定し(意思表示の成立),次に,②これら当事者相互の意思表示が合致するかどうか(契約の成立)を判断することによって行います。
4.意思表示とはー意思表示の概念ー
● 意思表示の概念
意思表示とは,一定の法律効果の発生を欲する意思を表示する行為をいいます。
「一定の法律効果」は,①「一定の」ものとしてその内容が特定,確定できなければならず(特定性・確定性),かつ,②道義的,社会的なものではなく,「法律」上の効果の発生を欲するものでなければなりません(法的拘束の意図)。
● 申込と承諾
申込とは,それを受け入れる相手方の意思表示(承諾)があれば契約を成立させる意思表示をいい,承諾とは,申込を受け入れて契約を成立させる意思表示をいいます。
● 契約の成立
契約は,対立する当事者間で意思表示の本質的部分が合致することによって成立します。各当事者の意思表示の一部に意味内容の不確定な部分があったとしても,当事者相互の意思表示の本質的な部分が合致していれば,契約が成立します。
☞各当事者が,一定の法律効果を欲するものとして,その内容を特定,確定することができ,かつ,法的に拘束されることを意図した“意思表示”を行ったときに,互いにその本質的部分が合致することによって契約が成立します。法人の一担当者の意思は必ずしもその所属する法人の意思ではありませんので,法人の担当者間の口頭のやり取りだけでは,意思表示が成立しない結果になることが多いといえます。
5.意思表示の解釈(契約の解釈)
● 意思表示の解釈(契約の解釈)
意思表示の成立とその内容を確定するためには,当事者が外部に表した何らかの外形から,当事者が意図した法律効果の内容を特定,確定し,当事者が法的に拘束されることを意図していたかどうかを判定する必要があります。これを意思表示の解釈といいます。意思表示の解釈によってその合致により成立する契約の内容を確定する場合には,契約の解釈と呼ばれます。
本基準は,企業が「当事者が契約の条件に拘束される意図があるかどうか」を評価する際に,すべての関連性のある事実及び状況を考慮すべきであると述べ(BC 35),企業が契約の成立を判定するにあたって,意思表示の解釈を行うことを求めています。
本基準は,契約の形式(口頭・文書)それ自体が契約の成立・不成立を決定づけるものではないとし,「口頭の契約又は含意(商慣行に従って)された契約の当事者が,それぞれの履行義務を果たすことに同意していることがある」,「他方,契約の当事者が契約を承認していると判断するために文書での契約が必要とされる場合もある」と述べており(BC 35),取引の実情によっては,契約の成立の判定が非常に難しい場合があることを指摘しています。
● 意思表示の解釈(契約の解釈)の準則
意思表示の解釈(契約の解釈)については,考慮すべき要素や方法に関して多くの事例から帰納的に醸成されてきた以下のような準則(ルール)が一般に承認されています。
a 事情
意思表示の解釈にあたっては,表示行為の前後にわたって生じた一切の事情を考慮します。
b 取引上の慣習
意思表示の解釈にあたって,取引上の慣習を考慮します(民法92条)。
c 任意規定
任意規定とは,公の秩序に関する規定(強行規定)でない規定をいいます。当事者が任意規定と異なる合意(「特約」と呼ばれます。)をしない限り,意思表示の解釈にあたって,任意規定を適用します。
d 条理(信義誠実の原則)
純粋に当事者の意思を探求しても具体的に妥当な結論が得られないときに,条理や信義誠実の原則(信義則)を考慮して規範的な解釈を行うことがあります。
☞企業は,契約の成立の判定にあたって,表示行為の前後にわたって生じた一切の事情(事実及び状況),取引上の慣習,任意規定などを考慮して意思表示の解釈(契約の解釈)を行います。口頭による表示行為は,文書による場合に比べて法的に拘束される意図がない場合が少なくありませんが,業界や当事者間の取引慣行などの実情によっては,法的に拘束されることを意図している場合もあります。逆に,文書による表示行為があっても,正式な契約書を作成することが取引上の慣習となっている取引分野(不動産の売買取引など)では,多くの場合,契約書が作成されるまでは契約が成立しません。
6.取引証憑
取引によっては,以下のような見積書,注文書,納品書,請求書などの証憑しか存在しないケースもあります。これら取引証憑について,契約の成立をどのように判定するかを解説します。
a 見積書
見積書は,顧客の意思決定のため前もって対価を提案する企業の一方的な通知文書です。企業から見積書を送付しただけでは,顧客から何らかの表示行為がない限り,契約が成立することはありません。
b 交渉文書
● 買付証明書・売渡承諾書
不動産の売買取引では,正式な売買契約書を作成することが取引上の慣習となっていますので,買付証明書と売渡承諾書の取り交わしで契約が成立することはなく,正式な売買契約書の作成によって契約が成立します。
● 法的拘束力のない交渉文書
後に正式な契約書の作成(調印)を予定している当事者間で,契約の締結に向けて交渉を円滑に進める目的で意向書,基本合意書,覚書等が取り交わされたとしても,特別の事情がない限り,当事者は法的に拘束されることを意図していませんので,そのような約束や契約条項に法的拘束力はありません。
c 注文書・注文請書
注文書は,最終的な契約条件を示し,これに対する承諾があれば直ちに契約を成立させる顧客(買主)の意思を明示した文書として,申込に該当します。注文請書は,注文書に対してこれを受け入れて直ちに契約を成立させる企業(売主)の意思を明示した文書として,承諾に該当します。商取引上,注文書・注文請書を取り交わした時点で契約が成立します。
d 納品書・受領書
納品書や受領書は,一定の商品・製品を納品した事実や受領した事実を伝達する一方的な通知文書です。
e 請求書
請求書は,企業(売主)から顧客(買主)に代金の支払を求める意思を明示した文書です。請求書自体は顧客の意思を推測させるものではありませんが,顧客が代金の全部又は一部を支払うなど代金債務を承認する行為によって契約が成立する場合があります。
☞企業は,顧客との間で契約書,合意書,覚書など合意の成立を示す文書が作成していない場合,見積書,注文書,納品書,請求書などの取引証憑から,契約の成立を判定する必要があります。
7.継続的取引の特則と基本契約
● 商法の特則
企業は,平常取引をする者からその営業の部類に属する契約の申込を受けたときは,遅滞なく,契約の申込に対する諾否の通知を発しなければなりません(商法509条1項)。企業がこれを怠ったときは,契約の申込を承諾したものとみなされます(同条2項)。
● 継続的取引基本契約
当事者間で一定の取引の反復を予定する場合,個々の取引に共通して適用される基本的事項を定める契約(継続的取引基本契約)を締結し,その契約の中で個々の取引に関する契約(個別契約)の成立に関する事項を定めることが少なくありません。
本基準のステップ1-①契約の成立では,申込を受領する企業にとって契約の成立の立証が簡便になっているかどうかを検討する必要があります。
☞企業は,顧客との間で一定の取引の反復を予定する場合,顧客と継続的取引基本契約を締結し,個別契約の成立に関して,企業にとって契約の成立の立証が簡便になるような条項を定めます。取引の実情によって,顧客から法人の代表者の記名押印のある書面を受領しなくとも,契約が成立することを定めることが考えられます。
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